弊社がまだサンシャイン文化会館の上(8F)にあった頃。東池袋周辺は今とはぜんぜん違う。
いまは再開発がすすみ図書館、NTT、何何ビル・・・と高層建築がならぶ整然とした町並み。
だがその頃、平成が始まったばかりの頃かな。
サンシャイン文化会館から東池袋へ向かう道は、ごっちゃごっちゃ。
すぐ何かおまけしてくれる親切なおばちゃんの駄菓子屋さんがあったりなど昭和の名残がぷんぷん・・・その中にいつも長い長い行列を作る店があった。
店にはいるまで30分、1時間もかかる。
大勝軒だ。
「たかがラーメン屋さんごとき、並んでまで・・・」
といつも素通りしていたが、あるどしゃぶりの日にふと、「きょうならすぐはいれるかも」と思ったのがあさはか。
傘を差しても吹き込む雨にズボンの裾を濡らしながらも長蛇の列。
こうなるとますますマボロシの味にたどり着きたくなった。
ある夕、店が閉まる寸前、あと2,3人だ。シメシメと思い駆け込んだ。
そのとき「、お客さん、もう看板ですよ」と奥から男の声が聞こえてきた。
その時「すみません、遠くから来たんです」といった。
食い意地がはっていたぼくのことだ。
とっさの口から出まかせで「北海道からたべにきました」と絵に描いたようなウソをいったかも知れない。
どんぶりを受け渡す小さな窓口から、いまじゃトレードマーク?山岸一雄さんの、あの福顔が見えた。
「じゃあどうぞ、今度は早く来てくださいね」にこにこというより、ちょっぴりおっかない職人口調。
そういう客が多いんだよとはいわなかったがしょうがねえな、ま、はいれ・・・というおこったような顔だった。
そのころ並が380円?だっが、量が半端じゃない。量と安さ、そしてちょっと甘口のたれ。
ぎっしり入っても20人ぐらい?
店の面にある洗濯機。時々奥さん?がそこで店の布巾など洗い物をしている。
その上にどんぶりを置いて食べている人もいた。
旨ければ、恰好はどうでもいい。
外で立ったまま食べる中年のオッサンもいる、という賑わいだった。
弊社が平成5年に池袋駅の西側、現在地(池袋三丁目)に引っ越すまで、何度か難関≠フ店ののれんをくぐったが、いまでは山岸チルドレン≠ェ営むチェーン店があちこちに。
スーパーにはつけ麺の商品まである。
余談だが、家族連れでいったとき、家内も家内の姉も、幼い息子もみんな食べきれず、3人の残りまで平らげた思い出も。こうして大食漢の汚名を着せられることになった。
そういえば店主が身体をこわして長く店を閉めているときもあった。
ラーメンは鶏ガラ豚ガラ人ガラだそうだ。
一世を風靡した山岸さん、身体をはった美味しいラーメン有り難うございました。合掌。
