2012年07月09日

(いじめをなくそう)思いやりと勇気の童話「とべないホタル」の著者・小沢昭巳さんが、この童話を書いた回想から

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こんばんは。ハート出版の日高です。

 


「自殺の演習をさせた」「ハチの死骸を食べさせよとした」「先生は見て見ぬふりをした」・・・

 
 
大津の中2イジメ事件は日ごとに陰惨な様相が明るみに出てくる。


イジメはいつの時代も変わらぬ人間の業のようなものかもしれない。本当にイジメに遭った人にしかかわからない深い悲しみがある。


シリーズ187万部を記録している「とべないホタル」の著者・小沢昭巳はこの童話を書いた動機をこう語っている。


それは70年前、昭和20年の7月のことである。



◇  ◇ ◇ 

 

やはり、星の美しい夏の夜だった。私はまだ中学生。機械工場で私は、高射砲弾の信管部分を作っていた。太平洋戦争の末期。全国の中等学校は、一時、一世に閉鎖され、生徒は動員され、私たちは工場で働いていた。


後年、その当時の「工場日誌」が発見された。・・・次のような記事が載っている。

 
 
夜勤。十一時過ぎ、空襲警報が鳴る。空襲警報入る。第二ポンプ斑は、退避濠に退避。伏木(現在高岡市)にて探照灯を照らし、二回、敵機を補足し、高射砲を放つ。白く浮き出されたB29の周囲に破裂する弾丸、その様、実にきれいだった・・・。


昼勤。ねじの内面を三名がやっていた(短い鉄管の内部にネジを刻む工程)。越前、金子は午前中に仕上げたが、小沢は、目が悪いので半分しか出来ていなかった。越前、金子は、自分らだけ遊ぶのは悪いといって、小沢の分を助け、三人とも終わって、それから休んでいた。美しい光景であった・・・。(「高岡中学校・高岡高等学校百年史」に所収)


中にでてくる「小沢」という生徒が私である。幼い時、病気で片方の目を失い、障害者となった私は、友人たちに支えられ、戦中をやっといきていたのだ。


目を失ったのは、私が一歳の時。母子同時に罹患した丹毒という病気のため、右目が白濁し、陥没した。右目を失うと共に、この時、私は、生みの母も失った。


隻眼(せきがん)の異相は、まわりの好奇心をそそる。揶揄(やゆ)や疎外や攻撃が、当然のように私に集中し、逃げ回るのに私はせいいっぱいだった。だが、工事日誌に記されているような幸せの日もあった。それはどんなに嬉しいことだったろう。爆撃を受け、ここで生命を落としても本望だったと思うほど幸せであった。


それを私は、童話のモチーフにしたのだ。


◇  ◇ ◇ 


大津の事件は、もはやイジメの範疇を超えた犯罪のレベルでもあるが、なくなった中学生のことを思うとやりきれなくなる。


イジメを語るのはなかなか手強い。「とべないホタル-文芸ポケット版−」の中から著者の回想を引用させていただいた。

 
 

http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-582-2.html
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動画でもみれる「とべないほたる」↓



posted by ラクーンドッグ at 16:09 | Comment(0) | ・著者−小沢昭巳さん
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