2014年02月25日

3月15日から始まる靖国神社遊就館特別展「大東亜戦争七十年展V」の内覧会参加。ひたすら祖国を守るという一念で戦場に赴いた先人たちの家族・郷土愛が忍ばれます。




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3月15日から始まる靖国神社遊就館特別展「大東亜戦争七十年展V」の内覧会参加。


ひたすら祖国を守るという一念で戦場に赴いた先人たちの家族・郷土愛が忍ばれます。

今年2度目の靖国神社に行ってきました。


今日の用事は、靖国神社にあるミュージアム遊就館の平成26年特別展内覧会でした。


特別展は「大東亜戦争七十年展」の第3弾。昭和18年9月から19年における「守勢作戦・・・後に続くを信じて次代へ結ぶ民族の誇り」がテーマ。


わが国は昭和18年9月30日、前進基地防衛により本土空襲を阻止するため「絶対国防圏」を設定した。


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開戦以来、激闘を繰り広げてきた日本が、国力、戦力の消耗から次第に守勢に回っていく時代の資料が展示されています。


会場には戦陣に倒れた将兵の遺品が展示されるなか、遺書の朗読も耳に入ってきます。


わが国の自衛、人種差別の撤廃をめざし立ち上がった戦いでした。


不利な戦局でもひたすら祖国を守るという一念で戦場の赴いた先人たちの家族、郷土への熱い思いが忍ばれます。


今日われわれの日本があるのも彼らがいたおかげです。


戦後GHQに洗脳されたため、日教組が牛耳る学校教育ではまったく学ぶことが出来ない真実の歴史にふれるチャンスです。


3月15日(土)から12月7日まで。


また3月15日「インパール作戦」 4月20日「大陸打通作戦」10月19日は「中部太平洋作戦」12月7日「比島防衛作戦」の記念講演も開かれます(進行・笹幸恵氏)


詳しくは電話03-3261-8326 http://www.yasukuni.or.jp/

また当日の内覧会では、展示解説として財団法人日本学会常務理事の永江太郎氏が「大東亜戦争守勢作戦」というテーマで講演。


なぜ攻防が逆転したのか?永江氏は、守勢に回った原因の究明と反省点などについて興味深いお話を約1時間、関係資料をもとにくわしく解説しました

 
 

◇   ◇   ◇
なお遊就館の売店・書籍コーナーには吉本貞昭氏の「世界が語る神風特別攻撃隊」が発売以来平積みで置かれています。

http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-911-0.html
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◇   ◇   ◇


そのあと、境内の売店でいつもながら商魂たくましいギャグに脱帽の「晋ちゃんのおもてなし」饅頭を買って帰りました(笑)


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posted by ラクーンドッグ at 15:50 | Comment(0) | ・映画・TV・劇場・博物館

2014年02月24日

「竹林はるか遠く」の著者ヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんと同翻訳者・都竹恵子さんにお会いしてきました。




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「竹林はるか遠く」の著者・ヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんが九州方面で御用事があり来日されました。


18日に山口県下関市の大学で講演。その様子が朝日新聞の山口版に22日掲載されました。


ちょうどその日、ヨーコさんが翻訳者の都竹恵子氏とご一緒のところをオジャマしてきました。


たくさんの読書の声(読者カード)など本に対する日本での大きな反響をお伝えしました。


ヨーコさんと都竹さんとのお話は・・・


本に登場する姉の好さんのこと、なくなったお母さんのこと、そしてお父さんのこと。


父は満鉄の職員だったのに「731部隊」の軍人だったとまったくありもしない話をでっち上げられ、在米韓国人たちにつるし上げられたこと。


またこれも本には書かれていないが、ご主人のワトキンズさんとのなれそめなどなど・・・話は尽きませんでした。


きょうの絵は昨年、米国でお会いしたとき帰りの飛行機の中、タブレットで描いたヨーコさんの肖像です。


80歳ですが、いまなお全米の小中学校から引っ張りダコ。


子どもたちを前にして引き揚げた体験記を出来るだけわかりやすく語るなか、この物語ができあがったわけです。


アメリカで発売されたのは1986年。


もうご周知の通り全米で大ヒット。


中学校の教材にもなり数々の賞を受賞しています。


日本で刊行されたのは27年目の昨年7月刊。


読者が増え続けています。


そして、たくさんの読者カードが止まりません。最近、弊社に届いたものを紹介します。


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http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-921-9.html
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竹林はるか遠く(兵庫県 男性 71歳)
小生も3歳に満たない時の空襲の記憶が鮮明にあり、著者が体験された地獄のような傷は決して消え去るものではありません。
後世に伝えていくべき書籍、感動と共感します。


竹林はるか遠く(栃木県 女性 70歳)
読み始めたら目が離れませんでした。2日で読んでしまいました。
あの頃の日本人の余儀なくされた苦労、戦争は人間を変える。争いを望まない民間人がいつも犠牲を強いられる。
この本は政治家達に読んでほしいと思います。
それにしても母親のどんな境遇にあっても学びなさいという姿勢には敬服いたしました。

竹林はるか遠く(大阪府 男性 74歳)
幼い著者が引揚の大変な苦労の中でもたくましく生き抜いたことに感服します。
後世にその経験を伝えるべく、ご苦労の様子、只々立派の言葉に尽きます。
朝鮮系米人、朝鮮本国の官民に負けぬよう頑張って下さい。


竹林はる遠く(兵庫県 男性 66歳)
私が幼少の頃、朝鮮にいた日本人から聞いた話と一緒だったのには驚いた。昨今、日本人が朝鮮人を強制連行したとか慰安婦にしたとかいわれているが、当時の話を想いだしてみると、戦後の作り話がわかる。
仲良く暮らしていた当時がわかる。


竹林はるか遠く(千葉県 男性 76歳)
たんたんと書かれているが、そんな甘い苦労ではなかったと思う。抑えた表現でしたね。
私は同じ8月中に同じ場所に居ましたが、もっと大変でした。国民学校2年生でした。

竹林はるか遠く(千葉県 女性 70歳)
好様はいかがお過ごしでしょうか? 川嶋様と同じ様にご苦労された人々を思い、胸が痛くなりました。
みな戦争の犠牲者です。しかし、その中で懸命に生きた筆舌に尽くしがい生活、またお母様の凛とした尊き女性の強さと美しさ、当時の日本人女性に頭が下がります。


竹林はるか遠く(香川県 男性 80歳)
私も著者と同年輩の昭和8年生まれです。私は昭和19年12月まで、隣町の清津小学校の5年生でしたが、終戦当時は父の転勤で京城に来ていました。
私の同級生も著者と同じように引き揚げには苦労しており、この本を深く考えながら読みました。


竹林はるか遠く(千葉県 男性 68歳)
ベッドの中ですが2日ちょっとで読み上げました。ドキドキハラハラ、怒り、涙、喜びを共に感じました。ゼロ歳で母と姉(1つ違い)と奉天から引き揚げて来ましたが、記憶にありません。
平和を願う気持ちを一層強く思います。


竹林はるか遠く(大阪府 男性 83歳)
続編「My Brother,My Sister,and I」邦訳を期待しています。

竹林はるか遠く(栃木県 男性 73歳)
映画化して世界の国々の人に見てもらいたいですね。


竹林はるか遠く(長崎県 女性 76歳)
私も著者と同じ様な経験をしました。
早く続編の「My Brother,My Sister,and I」を刊行お願いいたします。
お父様はどうなさったのでしょうか?


竹林はるか遠く(大阪府 男性 63歳)
ただ涙が流れた。そして、好さんと淑世さんと、その後の「小っちゃいの」の歴史(?)を知りたい(読みたい)。
私の海外生活は6年半(イギリス)と短いが、相通ずる気持ちがあるように思えてなりません。


竹林はるか遠く(千葉県 女性 66歳)
戦争の残酷さは、何も得る事がないと思っています。戦後生まれで、両親からも細かな事は何も知らされずに育ち、大人になった時、職場にて、満州からやっとの思いで引き揚げて来た方と知り合い、どんなにか大変な思いをされたかを知りました。
66歳になった今、この本に出合い、一気に読んでしまいました。これからの若者達に、こんな悲惨な事には遭わせたくないものです。是非、皆で読んで学習して欲しいと思いました。


竹林はるか遠く(山口県 女性 55歳)
今年91歳になる私の母は平壌に住んでおりました。
戦後、引き揚げる時に、生まれて8ヶ月の兄が亡くなり、現在の北朝鮮の山に葬ったと聞いています。家の墓には爪と毛髪と服だけ入れてあるそうです。
父はソ連に抑留され、母はどんなに心細い想いをして帰ってくれたのか…。言葉につくせないものがあったに違いありません。よくぞ帰ってきてくれましたと、母には感謝しております。
母はいろいろな人の助けがあり、博多へ着いた時の安堵した思いは、この本と同じように思いました。しかし、著者の川嶋さんは幼くて、もっと遠い所から大変なご苦労をされ、帰国後も大変のようで、本当に胸が痛みました。
人としての良識を持って、誇りを持って生きてこられ、人の恩に報いる姿は、子や孫に伝えるべき事だと思います。どうか、お元気でお過ごし下さいませ。
そして、続編も読みたく思っておりますので、日本語訳の本を出版してくださいませ。



◇         ◇       ◇



ヨーコさんとのおはなしのなかで、

ヨーコさんがいた町で、同じ時期に羅南中学生だった清水徹少年の話の聞き揚げ体験記「忘却のための記憶」が弊社から出たことを紹介すると、大変興味を示されました。


「あっこれは、どういう(状況の)絵かすぐわかる」


と表情をくもらせました。


とくにこういった文中のイラストです。

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http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-970-7.html
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posted by ラクーンドッグ at 17:48 | Comment(0) | ・おすすめ竹林はるか遠く

2014年02月21日

風邪撃退法、ぼくの場合



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親父が緊急入院し6日間滞在した病院は、医師・看護婦さんの対応も大変よかった。


まさに病院(ホスピタル)だけあって、ホスピタリティ(おもてなし)が行き届いていた。


武蔵野の雑木林の中にあり、眺望も抜群、病棟6階食堂の窓からは富士山がみえる。


ただ、そういう中なので看病というほどのものではないが、姉は元気だが家内はクタクタ、昨日は風邪で寝込んでしまった。


我が輩も何かからだが重くふしぶしがいたい・・・風邪の兆候かなあ・・・と早速、葛根湯を飲んだ。


この漢方薬、ぼくと相性がいいのか効果てきめんだ。寝込むことなく、今日はもうからだが軽くなった。


引きはじめにはもってこい。


ちょっとからだがだるいなあ、くしゃみが連発したり、出来るだけ風邪の初期症状をとらえることが肝腎。


早ければ早いほど治りが早い。


そのとき飲んでおけば、ほとんど寝込むほどひどくなることがない。


風邪を引き込んでしまうと、1週間ぐらい症状が取れない。


おまけに年を取ると治っても咳をが止まるまで1ヶ月もかかることがある。


ところが風邪の引きはじめに葛根湯を飲むようになって、いっさい寝込むことがなくなった。


この習慣は、わが家の家族にも感染≠オて、風邪が悪化しなくなった。


女房もさいわい葛根湯と休眠のおかげで、1日でよくなった。


凄いのは99歳の親父だ。


清潔な病院だったので(院内感染ということではないだろうが)病院から帰って何十年ぶりか鼻水、咳が出て心配したが、すぐおさまってしまった。


暖かくして寝ただけで・・・


親父の場合は葛根湯もいらない。


恐るべし、大正3年生まれ五黄の寅。


詳しくは↓
http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se52/se5200013.html



posted by ラクーンドッグ at 14:37 | Comment(0) | ・自分のこと

2014年02月19日

雪道、長靴ないとき、レジ袋が役にたった。



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昨日の絵日記に書いたように大雪が降って積もっていた間、救急車で運ばれた親父が入院する病院通いが日課


入院した当日の木曜日(13日)は雪が降る前なので、車が使え問題なかった。


だが、土曜日(15日)は病院に行くバスが運休、タクシーも捕まらない。


道路は近辺の人が雪かきするまもなく不通。


途中で挫折、元来た道を引き返す。


おまけに、スニーカーなので足はビショ濡れ。


3年前、一軒家からマンションに引っ越した際、古い長靴を処分し、そのまま、買うのを忘れていた。


靴下までも濡れた靴をはいたまま、靴屋さんを3軒たずねるが長靴は見事に全部売り切れ。


(当たり前だよ。普段からの備えが足りないよ)


日曜日(16日)は意を決して出かけるが、バスもなく30分の道を2時間かけて病院に到着。


途中、車が通った跡もなくなり、道が消え途方に暮れ「八甲田山 死の彷徨」を思い出してしまったのはちょっと大げさか。


(かなり大げさだ!)


スニーカーの中は水浸し。病院について靴を乾かしていると、


姉がこんなことを。


「きのうのテレビで観たんだけど、長靴がない場合の応急措置をやっていたよ」と。


これが効果てきめん。


レジ袋に足を包んでスニーカーを履くというもの。


これは長靴より歩きやすいし、足は保温され快適だ。


災害の多い国・日本・・・


みなさんすでにご存じと思うが、また降るかも知れない雪・・・長靴の準備を。


もし忘れたときはレジ袋を是非お試しを。


posted by ラクーンドッグ at 18:37 | Comment(0) | ・自分のこと

2014年02月18日

大雪の最中、なんでも詰まると大変だ。親父の中のふさがれた道≠フ復旧工事!?



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またまた大雪。雪でふさがれた道は難儀ですね。


その最中、先週の木曜日から99歳の親父が緊急入院。


医師の診断は「総胆管結石」。


説明によると、胆汁という脂分を溶かす消化酵素は、肝臓から胆のうを経由し十二指腸へ出る。


ところが、胆のうで出来た結石が総胆管という直径1センチぐらいの管をふさぐと、胆汁が十二指腸にくだらなくなる。


するとバイ菌が繁殖し炎症(胆管炎)や黄疸(おうだん)が起きる。


重症化すると多臓器不全となり一命が危うくなるというものだそうだ。(雪でも結石でも道をふさぐと大変だ!!)


解決方法は内視鏡手術で石を取るしかないわけだが、99歳という高齢なので、総胆管に隣接している膵臓に急性膵炎などの合併症を起こしかねない。(いよいよ最後か?!)


というわけで、本格的手術一歩手前の応急措置。


ステントというプラスチックの細い管を通して、解決を図り、親父も元気になり本日退院となった。


ただ、ステントが詰まらない保証はなく半年ぐらいで再度詰まってしまうことが多いと医師は言う。


根本的解決ではないが、今後、時々通院して様子をみるということになった。


そしていま、ぼくの弟の車で姉と一緒に、5時に家に戻った家内から電話。


「様子はどう?」と聞くと、


「うーん、さっそくタバコを一服して、スタスタ歩いて植木に水をやっているわ」フェーッ!


おどろいた。(前より元気になったじゃないか)


姉と弟はこれから買い出しでスーパーに。さっそく大雪で不足がちの食料の確保に出かけたという。


どうやら、おかげさまで1週間たらずで普通の生活にもどれそうだ。


以上、記録的大雪中のわが家の出来事(体内復旧工事)でした

posted by ラクーンドッグ at 18:50 | Comment(0) | ・自分のこと