2014年01月27日

キャロライン駐日大使のケネディ家には「シーシェパードに熱心な弁護士がいると思えば、神風特別攻撃隊に理解を示す作家もいる」という興味深いブログあり



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先週の土曜日ちょっと東京都美術館へ。


「特別展・世紀の日本画―日本美術院再興100年」で日本画巨匠の名画の数々を観て、美術館を出ると上野の森は夕靄。
外灯の明かりが美しい


目をこらしてみると公園の木々はほんのりピンクがかっている。


桜の新芽だと思う。


寒い日が続くが、もう春はそこまで来ている。






ところで、きょうは、弊社の社内掲示板をみるとこんな興味深いブログがあったと紹介している。


「キャロライン・ケネディ駐日大使が問題!


一族には過激なシーシェパード擁護の弁護士もいるが、神風攻撃に理解を示す人物もいる」


という内容。


アメリカ人もいろいろ、イルカ漁にいちゃもんつけたり、靖国参拝に「失望した」という発言もあるが、けしてアメリカを代表する意見ではない。注意は必要だが・・・


日本擁護で有名なテキサス親父は、安倍さんが英霊の眠る靖国を参拝したことは「何も悪くない」「中韓黙れ!アメリカも何もいうな」と言っている。


日本をことさら悪く言う米国のオバマ民主党が問題のようだ。

というわけで「キャロライン・ケネディ問題!一族にはシーシェパードの弁護士から神風攻撃に理解を示す人物も」という「なでしこりん」さんのブログと


「テキサス親父」ことトニー・マラーノさんの連載記事を始めた「夕刊フジ」(1/11発行)を転載する。


ご参考に。





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キャロラインの素行問題、これには複雑な家庭関係あり?


 ケネディー家には「神風攻撃隊」に共感する人物もいるんです!


 なでしこりんです。キャロライン・ケネディーに「大使の任に耐えうる人格があるか?」は、「日本大使」決定以前のアメリカでも問題になっていました。いわく、「オバマ再選に対しての論功行賞だけではないのか?」、「人格的に問題がありすぎはないか?」、「日本ならなんとか引き受けてくれるのではないか?」etc. アメリカの大使決定にはそういう経緯があることを私たち日本人も知っておくべきですね。 今日はキャロライン・ケネディーに関係する「3人のケネディー」のお話です。

 
      
 「J・F・ケネディー」・・・については

第35代アメリカ大統領であり、「暗殺された大統領」としても有名ですね。キャロラインは「JFK」の娘であり既婚者ですが、「ケネディー姓」を名乗っているのは、やはりアメリカにおける「父の伝説」を利用することの意味を理解しているのでしょうね。JFKに関しての情報としては、大東亜戦争時、魚雷艇P109に乗っていたところ、日本海軍の駆逐艦・天霧に体当たりされて沈没。にもかかわらず無事生還したことで「戦場の英雄」になるのですが・・・これも、もちろん、実業家でありイギリス大使も経験した「父親のおかげ」ということは広く知られていることです。もしかしたら、「パパは日本人に殺されそうになったんだよ」という話を幼いキャロラインに聞かせていたかも?

 「ロバート・ケネディ・ジュニア」・・・は


JFKの弟であり、こちらも暗殺されたロバート・ケネディーの息子です。キャロラインとは「いとこ」になるんでしょう。こちらは、捕鯨を妨害していることで有名な「シーシェパード」の弁護士として有名です。今回のキャロラインの「イルカ発言」の背後にいるのはこの人物ではないかと言われていますね。ケネディー家は民主党支持ですから、こういう「リベラルごっこ」をして「世界のためにいいことをしてるんだ!」いう勘違いをしている人もいるようです。

         
マックスウエル・テイラー・ケネディーとその著書
 

 「マックスウエル・テイラー・ケネディー」・・・もロバート・ケネディーの息子で「シーシェパードの弁護士」のロバート・ケネディ・ジュニアの弟になります。(ロバート家は11人兄弟です) マックスウエルは、「特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ」の作家として有名ですね。もちろん、彼のお話の中心は「神風攻撃隊」の特攻攻撃を受け、大損害を受けても沈没しなかったアメリカ海軍の空母・バンカーヒルとその乗組員への賛歌にあるのですが、同時に「神風攻撃隊」の二人の日本人の功績も評価していることは注目すべきでしょう。彼はその著書の中で「未来の日本人が、特攻隊の精神を受け継いで、何事にも屈しない強い心を持ち続けることが神風攻撃の目的ではなかったか」と述べています。これは私たち日本人も知っておくべきことですね。
 

 ケネディー家・・・


「貴族のいないアメリカでの貴族」ですから、あるいみ「キャロラインが世間から外れている」ことは仕方のないことかもしれません。ただ残念なことに日本でのキャロライン歓迎ブームは完全になくなり、日本での反米意識の増長にその役割が移ってしまったようですね。遅かれ早かれ任期途中での「家族との時間を大切にしたい」という理由でアメリカに帰国することになるでしょう。海外の反応を見てみますと、今回のキャロラインの発言に関して、「彼女はイルカがかわいそうと言いながら、その場でロブスターを生きたままゆでるような人物だ」と評しています。私たちはアメリカ批判より、オバマ民主党とキャロライン個人への批判に重点を置くべきなのかも知れませんね。 
By なでしこりん


引用元↓
http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11754855196.html
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英語版、「特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ」↓
 




日本語版、「特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ」↓








「痛快!テキサス親父」の主張を連載(木曜日)している夕刊フジ(1/11)テキサス親父 1.jpg




2014年01月24日

「竹林はるか遠く」につづく衝撃の引き揚げ体験記。終戦時の朝鮮半島で何があったのか?少年は見た!耐えた!逃げた!「忘却のための記録」(清水徹著)ハート出版から発売。




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「竹林はるか遠く」を出版して間もないころのことだ。


編集担当者が、鄭大均(てい たいきん)氏(首都大学東京・特任教授)から終戦時の朝鮮脱出記なら、こういう隠れた良書がありますよ」とある書籍をわたされた。


少し赤茶けた新書版であった。


「忘却のための記録」という題名で、愛知県にある老舗の版元・精文館書店から昭和55年に刊行されたもので絶版になっていた。


担当者が読んで感動したというので社内で回し読みが始まった。


この本の著者は、「竹林」のヨーコさん家族と同じで終戦時に朝鮮の羅南(らなん)に住んでいた。当時小学校6年生だったヨーコさんよりちょっと上、羅南公立中学校の3年生。


つまり今度は当時の少年の目から見た壮絶な終戦時の朝鮮半島脱出記である。


息が詰まるような命がけの体験の連続である。ソ連軍の爆撃から始まり、復讐、襲撃、略奪、強姦、飢餓、極寒、病気、そして38度線の脱出――たとえようのない凄惨な記録をありありと描写している。

「・・・ある屋敷から朝鮮人が荷車を引いて出てくのを見た。


車には家具類はもちろん、マキの類から漬物ダルまで積まれていた。白昼の公然たる泥棒――しかし訴えるべき警察はいない。そう知ると、急に恐ろしさを感じた。どこを見回してもぼくの味方らしいものはいない。これまで、ぼくはどんなところにいても、こんな恐ろしさを感じたことはなかった。それを意識するとしないかかわらず、警察が厳として存在し、大日本帝国という国家権力があったからではなかったろうか――。


しかし、現実は無警察状態にあり、大日本帝国は少しもぼくたちの頼りになりそうもない。ぼくはそのとき、目に見えない国家権力の力がその民族にとってどんなに大切なものであるかをつくづく思い知らされた(本文より)・・・」


読み出したら止まらない。涙なしには読めない内容だった。
主人公・トオル少年にとっては、忘れてしまいたい記録であるが、日本人だけでなく世界がわすれてならない戦争の記憶である。


すぐ弊社からの出版が決まった。今週末から書店に並び始める。



著者が描いた挿絵の一部
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◆「忘却のための記録」書いた著者・清水徹(しみず とおる)の略歴。

1930(昭和5)年、京城府錦町に生まれる。京城竜山小学校〜清津国民学校を経て羅南中学3年時に終戦。城津、咸興で抑留生活、昭和21年5月、38度線を脱出。静岡県へ引き揚げる。


帰国後、三ヶ日実業学校を卒業。豊橋市の新聞人・杉田有窓子の知遇を得て「東三新聞」(現・「東日新聞」)に入社。34歳のときに結婚、一男一女をもうける。新聞記者の後、衆議院議員秘書として東京に移る。後に出版事業を経て、豊橋市に戻り、東三河開発懇話会常務理事・事務局長、東三河地域研究センター専務理事などを務める。


著書に『われらが豊川』(建設省中部地方建設局豊橋工事事務所、1986年)、『県境を越えた開発−「三遠南信トライアングル構想」から』(共著、日本放送出版協会、1989年)、『激動・昭和の豊橋』(編著、豊橋座談倶楽部、1991年)などがある。




詳しくは↓
忘却のための記録 1945−46恐怖の朝鮮半島」
http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-970-7.html
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◆この本の解説を書いていただいた鄭大均(ていたいきん)教授は、数々の著書で有名であるが、弊社では初めてなので、プロフィールを少し長いがフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。

鄭 大均(てい たいきん(정대균、チョン・ テギュンとも)、1948年 - )は、日本の学者。首都大学東京都市教養学部特任教授。専攻は東アジアのナショナル・アイデンティティ、日韓関係論、在日外国人。韓国系日本人。


人物[編集]岩手県生まれ。父親は1922年、当時の京城から東京にやってきた朝鮮人で、1923年に出版され、朝鮮人によって書かれた最初の日本語小説として知られる『さすらひの空』の著者である鄭然圭。母親は岩手県和賀郡黒沢尻町(現在の北上市)出身。結婚してしばらくは東京に住んでいたが、1944年に空襲を避けて岩手県に疎開。大均はその地で戦後に生まれた。岩手県立黒沢尻北高等学校、立教大学文学部および法学部を卒業。1973年から74年にかけてアメリカ合衆国東部で暮らす。1978年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校修士課程修了(M.A、アジア系アメリカ人研究)。履歴については自叙伝的作品である「在日の耐えられない軽さ」(中公新書)に詳しい。


米国から東京に戻り、英語学校で教えながら1980年頃から在日論を書き始める。その後70年代に東京で会った留学生・崔吉城の誘いを受け、慶南大学校師範学部(韓国馬山市)、東亜大学校人文学部(韓国釜山市)、啓明大学校外国学学部(韓国大邱市)で14年間教鞭をとる。


啓明大学校副教授から転じ、1995年に東京都立大学(現首都大学東京)人文学部に助教授として着任、1999年に教授、2013年3月に定年退職。同年11月から特任教授となる。2004年に日本に帰化。妻は韓国の大学教員。


妹は鄭香均。香均は、日本国籍でないことを理由に東京都の管理職選考試験の受験を拒否されたとして都を訴え、二審で一部勝訴(慰謝料支払のみ認定)するも、最高裁において(最大判平成17年1月26日民集59-1-128)敗訴が確定した(東京都管理職国籍条項訴訟)。これに関し、鄭大均は正論やニューズウィーク日本語版の誌上等で妹に苦言を呈している。


日韓関係を集団アイデンティティの視点から分析。従来の歴史・道徳史観濃厚の日韓関係論とは異質の議論を展開。在日韓国・朝鮮人論も、その被害者性を強調する従来の在日論とは異質の議論を展開している。在日コリアンに日本への帰化を勧めるとともに、韓国系日本人(元在日外国人)の立場から、永住外国人への地方参政権付与に反対し、国会で参考人招致を受けた際も反対論を展開している。

著書


日韓のパラレリズム――新しい眺め合いは可能か』(三交社, 1992年)/「韓国のナショナリズム」に改題、(岩波書店[岩波現代文庫], 2003年)
『韓国のイメ−ジ――戦後日本人の隣国観』(中央公論社[中公新書], 1995年)
『日本(イルボン)のイメ−ジ――韓国人の日本観』(中央公論社[中公新書], 1998年)
『在日韓国人の終焉』(文藝春秋[文春新書], 2001年)
『韓国ナショナリズムの不幸――なぜ抑制が働かないのか』(小学館][小学館文庫], 2003年)
『在日・強制連行の神話』(文藝春秋[文春新書], 2004年)
『在日の耐えられない軽さ』(中央公論新社[中公新書], 2006年)
『韓国のイメ−ジ――戦後日本人の隣国観 増補版』(中央公論社[中公新書], 2010年)
『姜尚中を批判する』(飛鳥新社, 2011年)
『韓国が「反日」をやめる日は来るのか』(新人物往来社, 2012年)
共編著[編集](川村湊)『韓国という鏡――戦後世代の見た隣国』(東洋書院, 1986年)
(古田博司)『韓国・北朝鮮の嘘を見破る――近現代史の争点30』』(文藝春秋[文春新書], 2006年)

posted by ラクーンドッグ at 14:37 | Comment(0) | ・おすすめ竹林はるか遠く

2014年01月16日

米国でベストセラーになった脳神経外科医の死後世界訪問記「プルーフ・オブ・ヘブン」(早川書房)は、瀕死にならなくても向こう側を覗き見することができるとヘミシンク技術を紹介している。




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最近「プルーフ・オブ・ヘブン」(早川書房刊)という本を読んだ。


直訳すると「天国の証明」ということになる。


脳神経外科医が見た死後の世界・・・が副題。全米で200万部も売れた本で米国のアマゾンレビューにはすごい数が載っている。


名門ハーバード・メディカル・スクールで長年、脳神経外科医として治療や研究にたずさわってきた医師が、突然、急性の細菌性髄膜炎にかかり7日間、昏睡状態に陥り、まったく大脳皮質が機能していなかった状況下で、脳から独立した意識が非常に深い体験をするというストーリー。


同医師はもちろん、これまで死後世界を否定してきた立場にあり、米国では賛否両論が渦巻いたようだ。


いわゆるこの体験は、レイモンド・ムーディ博士の著者「かいま見た死後の世界」でも示されている臨死体験である。


実は、著者のエベン・アレグザンダー氏はヘミシンクの本山・米国モンロー研究所とも深く関わっている。


著者は、死後世界は著者と同様に瀕死の状態に陥らなくても大丈夫と、「もうひとつの朗報」として、この本のなかでヘミシンクの有用性を説いている。


ロバート−・モンローが開発したヘミシンク技術を使えば、「死に向かう手続きを取らずに、昏睡中に訪れた場所に近いところへ戻るのをかのうにしてくれた」と詳しく紹介している。


同書は京都大学教授のカール・ベッカー氏(宗教学)が「他界の証拠」と題し解説をしている。


教授は、現代の日本人は、臨死体験は知っているが、死後存続は信じていない、という。その理由は、


「キリスト教に対する踏み絵、仏教に対する再三にわたる廃仏毀釈、神道へのGHQの検閲、また新宗教の犯罪事件などによって、『宗教を信じてはならない』という教訓を、過去数世紀にわたり、厳しく教わってきたから」


と、この風潮をつくった歴史的背景を述べている。実に興味深い。


ヘミシンクを開発した
ロバート・モンローについたては、この本が詳しい↓
http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-576-1.html
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posted by ラクーンドッグ at 17:10 | Comment(0) | ・著者ーロバート・モンロー

2014年01月14日

「永遠の0」を観た方、ご存じでしょうか? 今年(2014年)は特別攻撃隊出撃70周年――。 特攻隊戦没者慰霊顕彰会の会報「特攻」より



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ご存じでしたでしょうか?


今年は特別攻撃隊出撃70周年だそうです。


靖国神社内に事務局のある特攻隊戦没者慰霊顕彰会から送られてくる会報「特攻」でそれを知りました。


その新春特別号≠ノ理事長・杉山蕃氏の念頭挨拶がありました。


それによると今年は、


「関大尉海軍大尉以下の敷島隊が、特別攻撃隊としてマバラカットから出撃、レイテ島沖に散華されてより70年の節目を迎えます」と。


関 行男海軍大尉(1921年8月29日生まれ) は、日本の 敗戦が濃厚となった1944年10月20日、初の神風特別攻撃隊の一隊、「敷島隊」に隊長として参加しました。


このときの敷島隊の攻撃で、同25日アメリカの護衛空母セント・ローを撃沈。没後、「敷島隊五軍神」の1人として顕彰されました。


折しも百田尚樹氏原作の映画「永遠の0」大ヒットで、これまで存在すら知らなかった若者の中にも、特攻とは何だったのか?


関心がしだいに高まりつつあるようです。


とはいえ、残念ながら日本では戦後教育のおかげで特攻は「無駄死に」などと正当な評価がされていません。


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今回の会報は8頁。


その中で4頁にわたり弊社刊の「世界が語る神風特別攻撃隊」(吉本貞昭著)の中から「封印された『カミカゼ』の戦果」が紹介されています。
以下、吉本氏の特攻、零戦を扱った2作を紹介しておきます。


「世界が語る神風特別攻撃隊−カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか」
http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-911-0.html
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「世界が語る零戦−侵略の歴史を転換させた零戦の真実」
http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-967-7.html
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以下は上記本の紹介動画です。








posted by ラクーンドッグ at 19:01 | Comment(0) | ・著者−吉本貞昭さん

2014年01月08日

「竹林はるか遠く」正月休み中にアマゾンの順位も上昇、一時50位台(同戦記・戦争体験ではほぼずーっと1位) 読者から「これほど感動した本は久しぶり、勇気をもらった」など感動の手紙が相次いでいます。




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出版界の専門紙「新文化」(12月26日)によると、日中・日韓をテーマにした出版物が活発になってきたと伝えています。


竹島、尖閣さらには突如設定され防空識別圏などなど、連日、理不尽な反日攻撃を受けて出版物が相次いでいるようです。


同記事によると、

「悪韓論」室谷克実 平成25年4月刊 新潮社 累計95,000部
「嘘だらけの日韓近現代史」倉山満 同11月刊 扶桑社 累計60,000部
「嘘だらけの日米近現代史」同24年8月 扶桑社 累計46,000部
「嘘だらけの日中近現代史」同25年5月 扶桑社 累計71,000部
「呆韓論」室谷克実 同年12月刊 産経新聞出版 累計70,000部
「なぜ反日韓国に未来はないのか」呉善花 同25年12月刊 小学館 累計15,000部 

と、売れ筋の中韓批判本を列挙しています。

ところで、韓国を直接批判した本ではないが、在米韓国人が米国の教科書から猛烈な撤去運動行い、韓国で販売禁止されている「竹林はるか遠く」(25年7月刊 ハート出版)は、昨年末で累計60,000部になりました。

この正月休み中に、また読者が増えたようでアマゾンでも総合50位台まで上昇したようです。


同戦記・戦争体験ではほぼずーっと1位を継続中。全国の読者から感動して涙、涙の読者カードが、この休み中にもたくさん届いていました。

誠に微力ですが、今年1年「竹林はるか遠く」ひとりでも多くのかたに読んでいただけるよう努力したいと存じます。どうぞ、よろしくお願いいたします。

http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-921-9.html
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竹林はるか遠く(広島県 男性 40歳)
続編の本も訳して下さい。日本語で読みたいです。日本の学校でも是非使って頂きたい本です。

竹林はるか遠く
続編をお待ちしています。

竹林はるか遠く(大阪府 男性 55歳)
敗戦国の悲惨さ、よくぞ朝鮮から帰って来られた。
この本を読むと、自分が抱えている問題などちっぽけな事と思えてきます。
父上のことが最後どうなったか書かれていませんでした、そのことが気になっています。

竹林はるか遠く(埼玉県 男性 61歳)
女性の力強さと実話であることに、戦争の無い世界をつくることの大切さを深く思いました。
是非、続編「My Brother,My Sister,and I」も邦訳での刊行を希望します。宜しくお願いします。


竹林はるか遠く(女性 42歳)
アメリカでは教科書にも載せられているということで非常に興味がありました。
今回これを読んでみて改めて日本人としての生き様が見直されるべきだと思いました。
11歳の目線で淡々と語られる生々しい記述こそ本当の話だったと受け止められました。
日本での出版、ありがとうございました。図書館へもリクエストして購入してもらいました。


竹林はるか遠く(北海道 男性 69歳)
私の母は神奈川の出身ですが、伯父の勧めで妹と2人で満州に渡り、満鉄の購買部に1年半くらい勤めたのですが、戦争が始まりそうになったため急いで妹と一緒に日本に帰ってきたそうです。


竹林はるか遠く(千葉県 女性)
1人でも多くの人に読んでもらいたいです。よい本に出合えました。ありがとうございました。


竹林はるか遠く(奈良県 男性 88歳)
終戦後、北朝鮮の羅南から京城まで女性(著者)の逃避行には、感動の涙なしでは読み続けることは出来ません。
日本人の一人ひとり、同胞であることの有難さ、私自身も日本人であることの喜びをひしひしと感じます。
著者も立派、この書に出てくる日本人は大いなる賞賛を捧げたい気持ちで一杯です。3回読み返しました。


竹林はるか遠く(栃木県 男性 48歳)
戦争がとっても悲惨であることを身に染みて感じました。もう二度と繰り返してはいけないと強く思いました。
私は終戦後20年して生まれましたが、平和が一番です。同じ人間なので分かち合いながら生きていきたいと思います。
人間同士、国同士の戦いは避けるべきです。

竹林はるか遠く(長野県 男性 53歳)
インターネットで知り読ませていただきました。一気に読み終えました。
終戦直後の悲惨な状況の中、力強く生き抜いた母を中心に姉の好、擁子の物語に心が揺さぶられました。
私たち今を生きる日本人は、この様な歴史事実を忘れることが無い様に心に留め受け継ぐべきだと思います。
感動そして日本女性の強さに涙が止まりませんでした。ありがとうございました。

竹林はるか遠く(東京都 男性)
擁子さん、好さん、淑世さん、そしてご兄弟(姉妹)を立派な人にお育てになられた川嶋さんご夫妻。松村伍長殿、増田さんご夫妻、内藤さん。淑世さんの命を救ってくれた金さんご家族。
主要な登場人物すべての方々に感謝申し上げます。胸が詰まりました。たくさん考えました。後に晴れやかな気持ちになりました。
そして人生観が変わりました。これからの人生は、ほんの少しでも擁子さん、好さん、淑世さんのよな人になれるよう頑張って生きていこうと思います。その糧をたくさんいただきました。
私の人生の指針になるようなご体験をお伝えくださった擁子さん。そして著者の壮絶で胸に迫る体験記を臨場感たっぷりに翻訳された都竹さんと彼女にご協力いただいた方々。この良書を日本語訳で出版してくださった御社。
ご関係すべての皆様に心から感謝とお礼申し上げます。

竹林はるか遠く(長野県 女性 64歳)
続編にあたる「My Brother,My Sister,and I」の邦訳本の出版を是非望みます。

竹林はるか遠く(青森県 男性 77歳)
数多くの開拓団が結成、渡満した人達の逃避行の実態と軍の対応については、帰国した団員達の報告書等が出版されておりましたのでこれまでも眼にして来たのですが、今の世相はこれ等の事は異次元の事と本気に話題にしません。世代交代したとはいえ悲しい事です。

竹林はるか遠く(茨城県 男性 75歳)
私も引き揚げ者の一人です。
毎年6月頃になると沖縄県が国内唯一の戦場として人々の苦難がマスコミで報道されるが、引き揚げ者の方々の苦難も酷かったと思う。途中で倒れたらその場において行くしかない。あとで線香をあげにも行けない。
引き揚げ者の体験の本をもっと出して下さい。

竹林はるか遠く(女性)
帰国後の京都の女学校の同級生たち、その家族、校長をはじめとする教師たちが誰ひとりとして姉妹に救いの手をさしのべなかったというのが不可解。
小説的誇張? もし事実だとしたら、当時の日本人の民度の低さ(心の貧しさ、みにくさ)にあきれかえる。
続編の「My Brother,My Sister,and I」も読んでみたい。英語可。

竹林はるか遠く(宮崎県 女性 64歳)
新聞の広告をみて、是非読みたいと思っていたので、明林堂でみつけた時は嬉しくてすぐ購入しました。
当時、満州でタイピストとして働いていた母からも少し聞いていました、男みたいな格好にして帰ってきたと…。

 
竹林はるか遠く(兵庫県 女性 72歳)
異国の長距離を徒歩で、苛酷な日々を母子3人で耐えての涙ぐましい逃避行。その中で韓国人から恥ずかし目を受ける人を見ながら、恐怖の中よくも帰国できたと思う。
これだけ酷い目に遭っても、韓国人のように執拗に訴え続ける事なく、潔く生きて来られたのだと誇りに思います。
帰国してからも日本人から差別されながら、女学校生活と生活の糧を求め、飢えと闘いながらよく無事に生き抜いて居られると感動しました。
父上とは再会されたのでしょうか? 知りたいです。

竹林はるか遠く
とても感動しました。あまり読む気はなかったのですが、友人から勧められたので読みました。
衝撃を受けました。これ程に感動する本に出合ったのは久しぶりです。
これからの自分の人生に対して大きな勇気をもらいました。ありがとうございます。

竹林はるか遠く(埼玉県 男性 15歳)
この本を書いていただきありがとうございます。しかし、書き改めてほしい所があります。日本は、戦争をしたかったのではなく、米国からの圧力、中国の日本人殺害などがあり、日本は悪くないと思います。
もし、どこかで会えたらお話をしたいです。これからもがんばってください。ありがとうございました。
 

竹林はるか遠く(神奈川県 女性 76歳)
思った通りの内容でとても満足しています。過ぎた日々が想い出され、哀しみとなつかしさで泣きました。

竹林はるか遠く(千葉県 女性 65歳)
人と人、国と国、戦いはするべきではありません。人間はどうあるべきか、この本を読んで多くを感じる事ができます。
日本、米国、中国、韓国ほか、世界の国々の人が読むべきだと思います、思想を超えて!



posted by ラクーンドッグ at 17:33 | Comment(0) | ・おすすめ竹林はるか遠く