
こんばんは。ハート出版の日高です。
正月休みに続いて、三連休。もう1月も10日目。もう3分の1が過ぎましたが、正味お仕事のほうは3日目。休み明けは忙しいです。絵日記書く時間ないんですよ。
書きたいことはいっぱいあるんですが・・・。
その合間に年賀状のお礼を書いたりとか・・・、年賀状といえば、皆様にもぜひお伝えした方がいいのではと思ったものがありました。
当社を退職、いまは東池袋の知る人ぞしる人気レストラン「何駄感駄」の若女将≠やっている中村るり子さんからです。彼女がつとめていた頃、文通が始まり、いまなお続いているというある読者のから年賀メールが転送されてきました。
その方は東日本大震災の被災地のかたで、岩手県宮古市に住む佐々木千賀子さんという元気な41歳の主婦の方です。障害をもつ長女・聡美さんがいます。
「るり子さん、年賀状、そしてメールをありがとうございました。
今年もよろしくお願いします!
3・11のあの日、私は宮古市の総合福祉センターにいました。障害者の会で盛岡の病院から先生をお呼びして、機能訓練のボランティアスタッフをしていました。
最後のお子さんの訓練中にあの地震はおきました。とりあえず先生を盛岡に帰し、訓練していた車椅子の子を避難させました。その子の迎えの車を駐車場で20分位待ったでしょうか、それから娘のさと(聡美さん)の通う支援学校へ迎えに行こうと橋にさしかかったところ、川に津波が押し寄せてきました。
沖の船も流されてくる勢いです。
警察に戻れと言われて引き換えし、福祉センター近くの勤務先(いわて生協)の従業員駐車場に避難しました。次の日の朝まで動けずにいました。車がすれ違うのがやっとの山道を通り、家に帰れたのが昼過ぎ。私があの津波に巻き込まれたと思い、みんなで探しに行ったりなどたいへん心配しており、泣かれてしまいました。
もし、車椅子の子の迎えがすぐに来ていたら、私はよくテレビに映るあの宮古市役所横の国道を通らなければ家には帰れないので、この命はありませんでした。
考えただけでも怖くなります。直接被災したわけではないのですが、いまでも夢の中で汚れた海の中を泳いでさとを探していたり、瓦礫の上を歩いてさとを探していたりしていることがあります。
さとを迎えに行けなかったあの日の思いだけが、いまだに私を苦しめています。でも少しずつ気持ちは落ち着きはじめていますが、怖くて被災していない場所しか走れなくなりました。
私の母親の実家は大槌で、父親の実家は山田なので、いとこは40人亡くなりました。宮古のたくさんの知り合いも亡くなりました。
だからこそ生かされた命を大切にして、頑張って生きていかなければと思っています。
個人的な話しですが、私は中学校の時から長渕剛のファンクラブに入っているのですが、夕べの紅白の長渕の『ひとつ』を聴いて涙が止まらなくりました。
みんなに、歌に励まされて頑張れています。
るり子さん、心配していただき、ありがとうございました」
それからまた、るり子さんのメールに返事が来ました。
「返事が遅くなりすみません。
今日は山田町にある実家に来ていました。
山田町の豊間根という山に囲まれた地域なので津波の被害がなかったのですが、壊滅的な被害を受けた山田の人達が避難してきて、今は仮設住宅がたっている地域です。
震災直後は、実家にも30人近いいとこや知り合いが避難してきていたようです。
私のほうは、命もあり、家もあり、じいちゃん(舅)の船が流され漁業の方はやめましたが、被災した人達に比べれば、普通の生活ができているから幸せだと思います。
なのに、家族と離れることの不安や、海のすぐ横の国道を走らなければどうしても街へ行けないから、ずっと恐怖を抱えながら生活していています…。
生かされたこの命を大切にして、人のために頑張って生きていきたいと強く思うようになり、被災した友達から連絡があれば、ココロに寄り添っていけるように会いに行き、足りない物があれば、持って行くようにしています。
みんな支え合って生きているんですものね。
宮古は、山田、大槌、釜石などに比べれば少しだけなのですが、復興に向け頑張っている宮古を誇りに思います。
当日、一緒にボランティアスタッフをしていたお母さんの家が流されてしまいました。その娘さんも私の娘と同じように障害があるので娘が使っているものと同じオムツを差し上げたこともあり、数日が過ぎてお店に行ってみると、紙オムツがなくなっていました。
娘の使っているサイズがなかなかないため困っていたら、芸能人の石井めぐみさんがツイッタ-に載せてくれ、それを見た方から紙オムツをいただいたり、埼玉の友達からも送ってもらい助かりました。
私たちはがまんできますが、こんな時、重度の障害がある娘たちの紙オムツや薬など、本当にどうしようかと思いました。
みなさんからご心配のメールをいただいたり、支援学校の先生が自転車で薬を病院からもらってきて届けに来てくれたりと、感謝の気持ちでいっぱいです。
そうそう、石井めぐみさんとは、息子さん(ゆっぴぃ)が亡くなった時にお手紙を書いてから、お返事をもらい、それからのお付き合いで、お友達をさせていただいてるのです。
重度心身障害児者親の会を結成した時、フォーラムを開催し、会でめぐみさんに講演を依頼し、宮古にきてもらったんです。娘のさとを育てていく中で、悩んだ時は相談に乗っていただいたりして来ました。
めぐみさんのツイッタ-に、去年の3月21日のにさとのことが載っていました。
命を輝かせて行きたいので頑張って行きたいです。
るり子さん、ありがとうございました。

添付した写メは、我が家から街へ行く市役所手前の国道です↑
ここを通らなければどこにも行けないのです。

↑この写真は、被災した宮古市役所の駐車場から、よくテレビの映像でやっている市役所向かいの堤防上の青空に虹がかかった時の一枚です。
この青空と虹のように、一日もみんなのココロが元気になって、笑える日が来るように…と願って撮った一枚です」
掲載を許可していただいたので、以上のように転載しました。
被災地の方は、本当に大変な状況の中でこのようにがんばっておられます。
東日本のことを忘れずに、ぼくたちも微力ながら、できることやっていきたいですね。